pharmacist's record

日々の業務の向上のため、薬や病気について学んだことを記録します。細心の注意を払っていますが、古い情報が混ざっていたり、記載内容に誤りがある、論文の批判的吟味が不十分であるといった至らない点があるかもしれません。提供する情報に関しましては、一切の責任を負うことができませんので、予めご了承ください。また、無断転載はご遠慮ください。

アニメ「アポカリプスホテル」の第11話!

いつか観ようと思っていた、「アポカリプスホテル」がアマプラ見放題終了間近だということでイッキ見しました。

apocalypse-hotel.jp

アマプラの★評価ってけっこう厳しめな印象なんですけど、★4.6だったんで気になってたんですよね。
結論から言うと、自分としては★★★★★の満点です。
ひさしぶりに面白いアニメを観ましたね。

あらすじ
人類にとって危機的なウイルスの蔓延で人間たちは地球を去り宇宙へ。
地球は無人の建物と動物たちだけが残されました。そんな終末の世界で、廃墟と化した東京・銀座では、アンドロイドやロボットが従業員として働くホテル「銀河楼」が営業を続けていました。

アンドロイドの従業員ヤチヨさんがホテルの支配人の代理の代理としてホテル経営をつづけながら、ホテルのオーナー(人間)と人類の帰還を待つんですが、いつまで経っても戻ってこず…。はたして人類は滅亡したのか…、それとも宇宙のどこかで生存しているのか…。ヤチヨさんは人類の生存と地球への帰還を願って、ホテルをきれいに維持しながら営業を続ける。
そんななか100年以上の月日が流れたある日、はじめてのお客様が…(といっても言葉の通じない地球外生命体だったんですけどね)

そんなこんなで、いろんな地球外生命体がやってきて、ヤチヨさんはオーナーから教わったお客様のおもてなしを意識しながら地球外生命体のお客様をおもてなしする。

そんなストーリーです。

人類生存が危ういというもの哀しい背景のなかでも、シリアスすぎず、ほっこりした内容です。ちょっとクレイジーなぶっとんだ回とかもあったりして、飽きることなくイッキ見してしまいました。

とくにすごかったのが第11話
そのちょっと前の結婚式の回とかも人気かもしれませんが、自分は11話推し。

アンドロイドの従業員ヤチヨさんが働き過ぎだからと休暇をとるように言われ、廃墟と化した街へ一人でくりだすんですが、これがもう言葉にできない内容でグッと胸にきましたね(あるものを求めての散策だったりするんですがネタバレ厳禁ってことで端折ります)。
ホテルにつきっきりだったヤチヨさんがホテルを離れて、地球の自然に触れ、そして誰もいない廃墟を散策し…って感じで、ほとんどセリフも会話もないんですけど、釘付けになってしまいました。
なにがすごいのかはうまく表現できません(語彙力…)。


ここ数年、いまいちおもしろいアニメに出会えなくて
★が高評価っぽいアニメを観ても、1話の途中でもうええわってなるものが多かったんですが、アポカリプスホテルは大当たりの秀逸な作品でした。
アマプラ見放題が間もなく終わってしまうみたいなので、時間に余裕があれば見てみてください。
(ワールドカップの真っ最中に時間に余裕なんてあるか!って感じですけど)

AHEADMAP(アヘッドマップ)の勉強会に行ってきた!(弾丸京都日帰り研修)

aheadmap.or.jp
アヘッドマップ、それはエビデンスと人とを繋ぎ、新しい価値と幸せを紡ぐ未来を描くNPO法人、そしてブログ主をエビデンスの沼に溺れさせた張本人!この出会いがなければ、自分が医学書を書いたり、学会のシンポジウムにお呼ばれすることもなかったでしょう。

共同代表の御三方がNPO開設前から行っていたJJCLIPというオンライン論文抄読会に参加したのがブログ主のすべての始まりでした。
振り返れば…(長いので省略)…、ということで毎年、研修&総会を開催しているものの、いつも土曜日開催で、土曜は原則仕事…、自分自身も締め切りとか締め切りとかもろもろあるし、一度も参加したことなかったのですが、今年は仕事がなぜか休みになっていたので弾丸京都日帰り参加を強行しまいsた。

テーマは生成AI

4名の演者の先生のお話をシンポジウム形式で拝聴

なんとスペシャルゲストとして片岡先生登壇
chugaiigaku.jp

これは自分も買いました。

詳細な内容は伏せますが、共同代表の青島先生がお話していた「翻訳家、実は需要増加傾向」の件

生成AIの登場で翻訳は丸投げできる!機械翻訳があれば翻訳家は不要になるのでは!?という話。
自分もそう思っていたのですが、なんと翻訳家の需要は増えているらしいです。

あらためて、この話題をChatGPTパイセンに聞いてみると…

「需要の構造自体が拡大・シフトしているという実態がある」
「AIによる機械翻訳が第一案(下訳)を生成し、それを人間がチェック・修正する“ポストエディット”という作業は増加傾向」

つまり、機械翻訳により、世界中の情報を簡単に日本語で入手できるようになったのですが、機械翻訳はあくまで翻訳するだけであって、機微なニュアンスを表現できていない。これを人間が最終チェック・編集するというポストエディットの需要が増えたとGPTパイセンもおっしゃっています。

海外の超有名小説を機械翻訳で日本語にしても、おそらくおもしろさを100%還元できないですよね。
機微なニュアンスを表現するには機械翻訳では限界があるので人間によるポストエディットが必要とされるということです。

では、これを薬剤師に置き換えてみるとどうでしょう?

現時点でもググって得た情報がデタラメすぎて、ネット情報のポストエディットは必要でした。
(しかし、そこまで積極的にネットで調べようというのは比較的若い世代かも。)

今後AIを誰もが(そこそこ上の世代の方も)使うようになったら…
薬や病気のことをAIに聞けばなんでも教えてくれるので、インターネットのGoogle登場時よりもさらに一般の患者さんが簡単に医療情報を入手できるようになるのかもしれません。

医療情報の需要は増えて薬剤師の需要は増えるのか?
それとも、AIで十分だから薬剤師に聞かなくてもいいや!と需要は減るのか
それとも、高齢者中心だから生成AIに誰も興味を示さず、あまり変化がないのか

どうなるでしょうね。

薬剤師に聞かなくてもいいや!というのは、ちょっと危険な兆候かもしれません。
現時点でも自分でググってネット情報を鵜呑みにした結果、健康を害することをしてしまっているという現象が多発してます。
これがGoogleからAIに置き換わったらどうなるのか…。AIは常識を覆すようなデマは利用者に提供しないのではないだろうかと考えられているようです。AIはしばしば利用者に”忖度”して、利用者が求める情報をサジェストしてくるのですが、あからさまなデマであれば否定してくれるらしいです。ただし医療情報は機微なニュアンスが大事になってきます。微妙な方向性のズレを誰かが修正しなくてはいけない場面もでてくるかもしれませんね。


医療情報を提供する側の薬剤師の立場で考えると、
AIのまとめた情報の妥当性を評価し、それを目の前の患者に外挿して個別評価をするスキルが必要となりそうです。与えられた情報をそのまま鵜呑みにしている薬剤師はAIでもよいということになってしまうのかもしれませんね。

うーむ…、それって、臨床研究で得られたデータを評価して患者にあてはめてどうかを考える、つまりEBMなのでは?アヘッドマップを通じてEBMの泥沼に飲み込まれてよかったのかもしれないですね(いまでも溺れながらジタバタしていますが)。AIが登場してもやることは似ているような気がするので、EBMレーニングは無駄ではなかったのかも。
添付文書に書いてあることをルール通り対応しているだけなら、AIを活用してもAIの出力通りに対応することになり、機微なズレが生じることはあるかもしれません。

もちろん薬剤師の仕事はそれだけじゃないですけどね
在宅訪問で大活躍の先生方は今後も需要増大だと思います。AIは文章から人の気持ちを汲み取る的な共感力は高いと言われていますが、バーチャルで患者と直に対話できるようになるまではもう少し時間がかかりそうです(といっても数年で登場するかもしれませんが)。患者さんとの信頼関係の構築に長けている薬剤師の需要が減ることはないと思います。

というわけで生成AIの登場で薬剤師は不要になるのか!?という巷でチラホラ耳にするテーマについていろいろ考えさせられました。


こんな感じで、我々は将来どうなるんだろうか…ともやもや考えながら、弾丸京都日帰り研修は終了しました。

生成AIの実践的なワークショップとかもおもしろそうですね。みんなでPC持ち寄って、なんらかのテーマをPC使って調べて…みたいな。
みなさんのいろんなAIの使い方を共有してみたい今日この頃です。

教育について考えよう第1回「才能と努力」

唐突なクソザコグラフの登場に戸惑いを隠せないかもしれませんが、
今回のテーマは「努力」です。

「仕事ができる人」「いろんなことを成し遂げた人」は、漏れなく努力をしています。
しかし、「努力したからこそ今がある」ということをわかってくれない人もいます。
「地頭がいいからだ」とか、「もともと才能があるからできるんだ」とかね。
これは才能がある人も努力しているということを軽視する発言なのであまりよろしくないですね。
「才能」だけで大成したわけではなく、「努力」したからだよ!と。

ただ、大成した要因は「努力だけ」なのでしょうか。


何年か前に、学校での子どもの勉強の話から派生した流れで以下のように言われたことがあります(自分には子どもはいないけど)。
「努力してもできない人はいる」と。
「もともと勉強ができるから薬剤師になれたんだ/本を書いたりできたんだ」みたいな(←ブログ主の地頭の質を見誤っている点は大いに反論したい)。

当時の自分は「それはちょっと違うのでは?」と思いました。
「努力してない/努力できないことの言い訳」のように聞こえてしまって、勉強すればできるようになることをわかってもらうことが大事なんじゃないかと思ったんですよね。

そこで、「『地頭の良さ』よりも『努力しているか/勉強しているか』のほうが大事なのでは?」と伝えたのですが、猛反発されました。

「運動神経がいいけど引きこもって体を動かしてない人」と「運動神経は悪いけど運動しまくってる人」
どちらのほうがスポーツができるかといえば後者でしょう(前者が鍛え始めたら話は変わりますが)。
”頭”も”体”と同じでどんなに地頭がよくても、頭を使う努力をしなければダメだと伝えたのですが平行線でした。

うーん…。そうなのか…。
自分はアホ側の人間なので、「努力」だけで今があると思っています。
たとえば、自分は医学書を単著で2冊書くという謎展開となり、学会とかにもお呼ばれして、膝をガクガク震わせながらも登壇したりしました。
ここに、自分の才能など皆無だと思っています。努力しただけの話。
「誰だって努力すれば医学書くらい書ける」と。

そう思っていたのですが、これを根底から覆される体験談を聞きました。

渡辺明「僕より弱い人は努力不足だと思ってたけど、息子に将棋を教えてたら自分が天才だったことに気がついた」 - Togetter [トゥギャッター]

この話はご存じですか?

若くしてプロ棋士になり、今も現役で活躍中の渡辺明さんは、名人や竜王のタイトルをとった天才棋士です。
頭の良さが異常…。
渡辺さんが若くして竜王のタイトルをとったとき、こう思っていたそうです。

「自分が竜王になれたのは誰よりも努力したからだ。誰だって努力すればプロ棋士になってタイトルくらいとれる」と…。

んなわけあるか!って思いますけどね。

そして渡辺さんは
「自分より将棋が弱い人たちを『真面目にやらなかった人』とレッテルを張って馬鹿にしていた」と懺悔しておられます。
そう、過去形です。
今ではこの考えは間違っていたと改めているのです。
なぜ改めたかというと…

「子供ができて、将棋を教えていたら、自分には簡単にできたことが全然できない」

そこでようやく理解したそうです。

「自分には将棋の才能があったんだ」

もちろんめちゃくちゃ努力したけど、才能があったからここまでたどり着くことができたんだとようやく気づかされたそうです。

そして、以前の自分を振り返り
「できない人を努力していないと決めつけて馬鹿にしていた昔の自分は最低だ」と猛省したそうです。



さて、この話をうけてどうでしょう?
似たような感じに陥ってませんか?
「めちゃくちゃ頭がいいのに、『努力だけ』で今の自分がある」と思い込んでいるそこのアナタ!
本当に努力だけでしょうか…?
才能も備わっていたのではありませんか?
自分の才能を卑下し、努力だけでやってきたと思い込んでいませんか?
そして、「努力してもできない」という人たちの悲痛な叫びを受けて、「努力が足りないのでは…」という感情が沸き起こっていませんか?
(もちろん、ガチで努力してない人たちもいるので、そこの見極めは難しい…)

渡辺さんの話は極端な話ですけど、何事も「努力だけ」でなんでもできるとは限りません。
自分がどんなにトレーニングしたって井上尚弥に勝てる未来はないのと同じで得手不得手はあると思います(井上尚弥の軽い左ジャブで再起不能になる自信あり)。

「自分と同じくらい努力すれば誰もが同じくらいできるようになる」とは限りません。
上達速度は人それぞれですし、どこまで高みに辿り着けるか(頭打ちになる高さ)も人それぞれです。


ということで、今は自分も少し考えを改めました。
自分はアホではあるけど、ちっぽけな才能があったから(※)、そこに膨大な努力をかけあわせて、本を書いたりすることができたんだと。
「努力すれば誰でもできることだ」などと言い放つことは、努力してもできないと悩んでいる人たちを傷つける言葉になると猛省しております。

※これについては議論の余地あり。やはり才能は皆無かもしれない。


こういう話になると、「結局は才能かよ」という絶望を感じますよね。
自分は日々感じております。アホだから無理や…と。


ただし
努力すれば確実に上達する
これは紛れもない事実です。まずこれを伝えるのが教育者の役目でしょう。
そして、その上達の傾きに個人差はあるということを”教育者側”は認識しておく必要はあります(指導する相手にそんな話をする必要はない)。


そこで冒頭のクソザコグラフの再登場です。

博士風の風貌のしごできな指導者は努力とともに上達してきました(しごできには見えない顔をしているが)。
努力とともに能力や成果を得ています。だいたいこのくらいの傾きで上達するとしごでき指導者は考えています。


そこで部下がやってきます。
いろいろ教えて、勉強させて、さてフタをあけてみたら赤丸の位置でした。


しごでき指導者からしたら、そのくらいの高さにはほんのわずかな時間で到達すると考えてしまっているので、「努力が足りない」と思ってしまいます。


しかし、フタをあけてみたら、部下は実は時間をかけて本を読み、いろいろ学んだ結果、今の位置…ということもありえます。
この長い努力を「努力していない」と言われてしまったらおそらく号泣するでしょうね。


まあこれは極端な例ですが、「傾き」は個人差があると考えています。
教育者にできることは、この傾きを少しでも上向きに上方修正する手助けをすることでしょうね(その方法は知らんけど)。

あと、「努力できることも才能のうち」という言説もあります(本記事ではそこは分けて考えましたが)。

これについては「地頭の良さ・才能」と「努力できる才能」はほぼ相関関係にあると思っています。
なぜなら、上記グラフの傾きがゆるやかな人は自然と「努力する才能も失いがち」と感じます。
才能がある人は、努力すればするほど自分自身の能力がみるみるうちに上達していくんです。そりゃ「努力」を嫌いになることはないでしょう。大変だとは思うかもしれませんが、成果は得られるわけですから、努力することの大事さを自覚することができ、努力する才能も身に付きます。
しかし、どんなに時間をかけて努力しても、ほかの人と比べて伸び悩んだり、上達しない・できないと感じれば、「努力」が嫌いになります。そりゃ努力する才能も失いますよ。
(身近にメンターがいないなかで論文を読むというトレーニングに何度挫折したことか…遠い目)

というわけで、努力できる才能を磨きたいのであれば、「努力が足りない」みたいな部下のやる気をそぐようなことは避けて、「なぜできないのか」を個々の事例の中身を掘り下げて上手にサポートしてあげるのがよいのだと思います(その方法は知らん 2度目)。


薬剤師という道を選び、資格を取得できたからには、そこになにかしらの才能があったのだと思いますが、薬剤師業務の中でも得手不得手はあると思います。
伸び悩むという壁を自分の力で打ち砕ける人もいれば、挫折する人もいます。誰かのサポートのもとで打ち砕くもよし、得意分野を模索して開花する道を探すのもよいかもしれません。伸び悩んだときに一緒に考えてあげるのがよい指導者なのでしょうね(自分は違う)。


最後に
「そもそもやる気がなくて一切努力をしようとしない人たちをどうするか」
教育者が一番悩んでいるのはそこですよね。
「やる気問題」については本記事では一切とりあげません。あしからず
(だって自分がやる気ない側の人間だから…。やる気の出し方という秘儀が存在するならぜひ教えてください)