最近、いろいろと思うことがあります。
「クラブに踊りに行きたい」とか…
あ、違った。
そうじゃなくて、
「デマに踊らされる人がけっこういるんだな」って。
自分はデマじゃなくて音楽で踊りたいタイプの人間なんですが、”デマ”はクラブ以上に盛り上がってる印象。
かなりエスカレートして法を犯す人までいるみたいですからね…。
もうなにがなにやらって感じですが、「なぜ、こうなったのか」を検証することは超重要課題かと。
そこで、
青島先生のMedy連載
「現象を救うのはエビデンスか、あるいは詩人か」
https://syuichiao.medy.jp/p/9ae2ea11-7d2c-4482-a439-43f458055220
を読んで、なるほど~と思いました。
以下、一部引用
「現象を救うのは、いつの時代も科学理論というよりはむしろ詩人」
「人の生活は合理性とは真逆のところにある」
「情報の正しさが反復可能な知だけに依拠しているのだとしたら、『正しい情報』論者は永遠に人の生活を語ることはできない」
たしかに、「正しさ」ってぜんぜん響かないなぁ~って多くの医療従事者が感じていることと思います。
「は?」ていうデタラメな健康ツイートがバズったりする一方で、正確な医療情報はぜんぜん伝わんねぇ!って。
「正しいかどうか」なんて、そんなの関係ねぇって。
でも、これについては思うところがあって、
デマを信じる人は、その誤ってることを「正しい」と思い込んでいるわけですよね。
なんだかんだで、人は「正しさ」を求めている気もします。
個人的には
「正しさ」は、それだけでは人の心には刺さらない
人の心に刺さるかどうかに「正しいかどうか」は無関係
「正しそうなこと(でも間違ってる)」も余裕で刺さる
と思います。
ウイルスは人に侵入する際に、スパイクタンパクというトゲが活躍するそうですが、
情報を人の心に届けるときにも、トゲを突き刺す必要があります。
「正しい情報」をいくら届けようとしても、人の心に響かない。
このトゲは「正しさ」ではありません。
人の心に訴えかける「何か」、それがナラティブ(物語)というやつなのかも。
(青島先生は、それを”詩人”と表現しているのだと思われます)
科学という情報を届けるには、情報の中身だけを考えていてはダメで、どう届けるかを考えなくてはいけないのでしょうね。
それが大得意なのが「インフルエンサー」です。
彼らは上手です。最強のトゲを持っています。
正しいことも正しくないこともガンガン届ける力があります。
医療従事者は彼らから学ぶべきことも多いのかもしれません。
繰り返しますが、なんだかんだで人は正しさを求めていると思うので、「正しい情報をどう届けるか」を考えなくてはいけないのでしょうね。